映画本-お, 本-お

おそめ―伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生

東映仁侠映画のプロデューサー、俊藤浩滋の妻であり、伝説の銀座文壇バー「おそめ」のマダムの生涯を描いたノンフィクションです。

「仁侠映画伝」では、俊藤があっさりと自伝の一部として語っている部分が、この本に描写されると、おそめさん、本名上羽秀をめぐる夜の盛り場に出入りする人々の愛憎交えた壮絶な話になっていく。

戦後すぐの京都で、二人は出会い一緒に暮らすようになる。当時の秀は、松竹創業者の白井、大谷一族の親族の一人に妾として囲われていた。もちろん周囲は大反対だったが、年長の旦那は理解をして別れてくれた。

が、当時闇物資を売り捌いていた俊藤はすぐに資金が尽きて、手切れにもらった品を質に入れても、生活は困窮するようになっていった。

そこで自宅を改築して、こじんまりとした会員制のバー「おそめ」をはじめる。戦前の祇園ですでに伝説の芸妓だった秀の器量にひかれ、一流の客たちが集まり店は繁盛する。余談だが、小津映画によく出てくる小さなバーは、ここがモデルでもあったらしい。川島雄三の映画『風船』では、ここがロケ場所として使われた。といえば、どういうステータスの場所か想像できると思う。常連のマキノ雅弘と轟夕起子の家は、「おそめ」の数件先にあった。

やがて、銀座にも「おそめ」を出店して、毎週、飛行機で往復する忙しい生活をするようになり、「空飛ぶマダム」として有名になる。そして、常連客の一人、川口松太郎が書いた小説「夜の蝶」のモデルとして、同小説が映画化されると(監督の吉村公三郎ももちろん出入りしていた)、日本中に名前が知られるようになる。

俊藤浩滋にとっては、ここまでが逆に秀の影として暮らしていた時代だった。銀座の店で東映の社長、大川博や岡田茂プロデューサーと出会い、映画製作の道に本格的に進むようになる。

一方で、俊藤は京都に大型ビルを建てて、「おそめ」の事業を拡大しようとするが失敗する。高度成長期を迎え、銀座の客筋も、それまでの自分たちでカネを出して遊ぶという時代と変わり、社用族が幅をきかせるようになる。それに呼応するように、地方の資金力のある者たちが、銀座で店を開くようになり、ホステスの引抜がはじまる。知らなかったけど、指名制度は、このころにできたものだと言うこと。銀座の夜の古きよき時代はここで終わった。そのころに文壇バー「姫」に出てきたのが、元東映ニューフェイスの山口洋子だったというのも不思議な因縁を感じる。

仁侠映画で当てた、俊藤と入れ替わるかのように秀は表舞台から消えていく。マキノ雅弘が俊藤のいうことを聞かなかったのは、プロデュース云々というよりも、昔のことをよく知っていたからだろう。

ちなみに藤純子は、俊藤の前妻の子ども。前妻といっても、ずっと別居はしていても、平成になるまで籍はそのままだった。だから秀と俊藤は事実婚であっても、籍は長らく入っていなかった。が、俊藤が死ぬ前に秀に強引に頼み込んで、入籍を認めさせたが、俊藤がこの世を去ると、秀はすぐに籍をもとの上羽に戻したという。

秀、おそめさんについては、皆「すごい美人というわけではないが、現れると後光が差しているように感じた」という。その魅力に惹かれて多くの政財界をはじめとした各界の著名人たちが集まってきた。文壇バーというと、マダムがインテリで、作家先生に議論を吹っかけるイメージがあるが、秀はそういうことはまったくしなかったし、できなかった。ただただこの仕事が大好きでまさに天職として楽しんでいた。しかしそれが故に起きる悲しい出来事もたくさんあった。

そのあたりはぜひ読んでみてください。ある時代の風俗が活写されています。下手なメロドラマよりも面白く、まるで悪漢小説を読んでいる気分になりました。

Pocket
LINEで送る