エイゼンシテイン・メソッド イメージの工学

知られざるハリウッド・クラッシック Vol.6 「想像力の実験工場」アフタートーク
UnknownHollywood #7 アフタートーク

数年前に「切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史」(河本 真理著)というべらぼうに面白い本を読んだ。ピカソとブラックによってはじめられたパピエ・コレの実験から「切断」をキーワードに近代アートの流れを読み解いている内容でとても刺激的だ。絵画の空間と時間を切断によって再構成する流れは「映画」になるのではないかと興奮したが、それについてはエイゼンシュテインが漢字を組み合わせで意味を表すモンタージュだと指摘している程度の紹介で軽く触れているだけで、その続きが読みたいと思っていたので遂に良い本に出会いたいへん満足。素晴らしい労作でアタマが活性化しました。

これまで日本では「エイゼンシュテイン全集」として論文はいくつも紹介されているが、そこにはソビエト時代には発表されなかったものも多くあり、これまで陽の目を浴びてきたのはその半分程度だったという。本書では2000年以降にアーカイヴから発掘され編纂された「モンタージュ」「メソッド」「無関心ではない自然」をもとにエイゼンシュテインの映画作法と理論の内容を解説している。

著者は、いくつかのキーワードを抽出しながらエイゼンシュテインの全体像を掴もうとする。そこには従来のモンタージュ理論でしか語られない枠組みを越えた、広い思想性が読み取れるだろう。いくつか本書から印象に残った文章を引用すると、

テクノロジーに向けて開放されているために、基本的には、エイゼンシュテインの映画はそのときどきの総合的な総体を有してはいても、全体として/にはひらかれている、それは、つねに再メディア化されていくゆくメディアとして考えられているということだ。

このように「深い」ところまでゆきとどいた歌舞伎の「論理性」を捉えたうえで、エイゼンシュテインはその原因を「視覚と聴覚を「通分する」」日本人の能力に求める。この能力は日本人独自の「世界感覚(ミロヴェスプリヤチエ)」ともいいかえられている。さらに進んで、彼はこの世界感覚を「知覚の未分化」とみなし、「子供の創造」、「治癒したばかりの盲人」の視覚世界と同じ問題系におく。

エイゼンシュテインの姿勢は、W・ベンヤミンの複製技術時代の視座にたつアドルノ/アイスラーには、「アウラ」の復活を望んでいるようにしか思えなかった。モダニストであっても人類学的モダニストであるエイゼンシュテインには、そもそも機械芸術とアウラの世界は矛盾するものではない。

一九二〇年頃、エイゼンシュテインはB・ズバーキン(ボゴリ二世)という人物に導かれて薔薇十字団のロッジに属することになる。

『イヴァン雷帝』の宮殿から大聖堂の身廊、柱廊につづく螺旋階段のシーンは当初10分間の移動撮影で撮る計画だったというが、予算の都合で従来通りのモンタージュになった。セットのデザイン画(写真あり)が載っているが、これができたら映画史は変わっていましたね。

一九三五年の第一回モスクワ映画祭の審査員を務めたときディズニーの『三匹の子ぶた』をグランプリに推したのだから、根っからのアヴァンギャルドだ。

単純にモンタージュ理論では捉えきれない宇宙を再構成するほどのスケールで映画に取り組んでいることが読み取れる。“ある意味”ではエイゼンシュテインの夢想した祝祭的神話的総合芸術は、“ある意味”『スター・ウォーズ』から現在のマーベルユニバースに至るハリウッド映画の流れで実現している気がする。“ある意味”だけど。映画の形式だけじゃなくそこに観客の積極的な参加もある野外劇として。恐るべき慧眼。

知られざるハリウッド・クラッシック Vol.6 「想像力の実験工場」アフタートーク
UnknownHollywood #7 アフタートーク
Pocket
LINEで送る