ヒッチコック

知られざるハリウッド・クラッシック Vol.5 「映画がアメリカンサイコを生み出した」アフタートーク補記
知られざるハリウッド・クラッシック Vol.6 「想像力の実験工場」アフタートーク

映画監督のエリック・ロメールとクロード・シャブロルが批評家時代の1957年に書いた伝説的なヒッチコック評論本。本文は187ページと短いが、訳注が197項目と「ヒッチコック、新たな波ーーロメール&シャブロル『ヒッチコック』の成立状況とその影響」という解説が素晴らしく充実しているので、半世紀近いブランクを埋めながら、単純に神話化することを潔いと考えない態度に共感する。それによって先に翻訳されたトリュフォーの『映画術』や他のヒッチコックの伝記本とともに知識や洞察を深めることができるだろう。ただし本書は『間違えられた男』までしか取り上げられておらず、その後の『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』『マーニー』を評論した時に本書の主張がどれくらい有効なのかは私たちが深く考えなければならない。

小河原あや氏による本書の成立状況の解説によって、私が長年疑問だったヒッチコックをカソリックに影響を受けた映画監督に位置付けたいとする本書の主張の理由がわかった(これは「映画術」でもトリュフォーがヒッチコックに直接確認する下りがある)。ひとつには著者のロメールとシャブロルが敬虔とは言えなくてもカソリック教徒であったこと。そしてもうひとつの理由が、これが重要なのだが「フランスのカソリックが当時の社会主義者へのカウンターとなっていた」ことを知って、驚くと同時にこれがヌーヴェルヴァーグに至るフランスの映画を介した政治・文化の闘争なのだと思った。

第四共和政の時代に映画界(製作と批評)を牛耳っていたのはソビエト(スターリン)の社会主義リアリズムに影響を受けていた左派であり、それに対抗していたのがキリスト教のカソリックの存在だった。(キリスト教側から見れば)「科学的進歩主義あるいは無神論」に対して「西欧的伝統に基づく芸術至上主義と(社会主義者側から見れば)「堕落した資本主義」の融合が拮抗していた。もちろん戦時中の政治闘争(レジスタンスかヴィシーか中立か)や戦中戦後の世代の違いもあるだろう。

そこにハリウッドの娯楽B級映画を推して、映画の「主題(テーマ性)」よりも「形式(スタイル)」を重視する、そこに「作家」という個人主義であり自由主義を導入することで西側自由(資本)主義社会の優位性が無意識に顕揚されることになる。その資本主義とカソリックと右派が結びつき、ド・ゴールとアンドレ・マルローの第五共和政成立の政治権力闘争で、老人と若者が手を結んだクーデターであり早すぎる文化大革命がヌーヴェルヴァーグという映画運動の正体ではないだろうか。アンドレ・バザンがカイエ・デュ・シネマに書いた「人はいかにしてヒッチコック=ホークス主義者であり得るのか」は勢いに乗って彼の元から離れようとする急進派の若者たちへの警告だったのかもしれない。本書は彼らのマニフェストであり、ヒッチコック&トリュフォーの「映画術」は理論と実践書なのだ。そしえ彼らは銃の代わりにカメラを手にし街へ出ていった。

もちろんヌーヴェルヴァーグは、「映画」の評価をより純粋な芸術に変えた部分もあるが、しかしこの運動の影響が未だにある種の映画の傾向と窮屈さを与えて政治性を引きずっている気もする。本当に「主題(テーマ)」に対して「形式(スタイル)」を優先させることが映画のためなのか。21世紀になってその弊害が現れていると思うし、それに対する創作者たちの試行錯誤が激しくなっているように思える。そこには資本主義の暴走にどのように向き合うかも含まれている。ハリウッドやグローバル化、デジタル技術に対して果たして映画はこれまで通り「形式」を追求するだけで良いのか。本書はある意味、「作家主義」の原点に戻り考えるきっかけになると思う。

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