a Diary: 日記

メイキング・オブ・ピクサー—創造力をつくった人々

3Dアニメーション製作会社、ピクサーの歩みを読んでいると、アメリカ映画とコンピュータ産業が交錯した時代の流れを感じる。その時はよく分からなかったが、いま改めて鳥瞰するとものすごくドラマチックだ。

1970年頃、ようやくコンピュータで静止画が描けるようになった時代、ユタ大学でコンピュータ・サイエンスを学ぶエド・キャットムルは、いつかディズニーのようなアニメーションを作りたい、コン ピュータ・アニメーション長編映画の製作を夢みていた。もちろん当時パーソナルコンピュータは存在せず、コンピュータ・グラフィックスが描けるマシンは、とて つもなく高価で大企業か、学校、または軍が持っているだけだった。

そこに、コンピュータでアニメーションを描くことに興味を持った、風変わりな金持ちが現われ、ニューヨーク工科大学にコンピュータ・グラフィックス研究所を設立することになる。キャットムルは各地から優秀な人材を集める。しかし、そこでは長編映画製作を実現することは出来なかった。 研究員たちはみな技術はあるが、アニメーションの演出についてはまったくの素人だった。
そこに『スター・ウォーズ』をヒットさせた、ジョージ・ルーカスが登場する。映画制作にコンピュータ技術が使えないかと相談して来たのだ。ここなら、長編アニメーション映画が作れるのではないかと考え、チームはルーカス・フィルムへ移る。
しかし、ルーカスは、コンピュータ・アニメーションのことなど少しも考えていなかった。彼は、編集のデジタル化、デジタル画像をフィルムに高い解像度でスキャンする作業、財務会計システムのためにコンピュータの使用を考えていたのだ。
それでも、キャットムルたちは、こっそりと短編コンピュータ・アニメーションの制作を行っていた。

そのころ、後のピクサーの看板監督になるジョン・ラセターは、ディズニー社が設立した学校、カルアーツで学んでいた。ちなみに『Mr.インクレディブ ル』のブラッド・バードは同期、ティム・バートンは一つ下の後輩。彼らはディズニー初期からの大ベテランアニメーターたちに徹底的にしごかれた。
その時期はウォルトが亡くなって、ディズニー社が最も混乱、低迷していた頃だった。もちろん才能があっても若手の彼らには出番は無かった。
ディズニーをクビになったラセターは、ルーカスフィルムに移って来た。やがて彼は、コンピュータ・グラフィックスの祭典シーグラフ用の短編アニメーションの制作を始める。こうしてピクサーに優秀なアニメーターが加わった。
本格的なコンピュータアニメーションは会場の喝采を浴びるが、会場に招かれた彼らのボスであるルーカスは密かに「ひどい出来だ」と考えた。
ルーカスは、妻のマーシャの離婚のために現金が必要になり、コンピュータ部門は売りに出された。このときにハードウェア会社として、ピクサーと云う名前が付けられた。キャットムルは、コンピュータ・アニメーション映画製作のための頭脳集団を維持するために全力を尽くした。
そこに現われたのが、アップルコンピュータを追われた、スティーブ・ジョブズだった。
ジョブズは、ピクサーコンピュータの技術により、3Dレンダリングが一般消費者に受け入れられることを夢みて自費をつぎ込み、一方でカネを消費するだけのアニメーション部門を何度も閉鎖しようとした。 Next社を立ち上げ、一発屋の汚名を返上しようとしていたジョブズの要求は苛烈だった。
ようやくCM制作で食いつないで来たアニメーション部門に、ディズニーから待ちに待った長編アニメーション製作の声がかかった。そのゴーサインを出したの が、ディズニーを立て直したマイケル・アイズナーの片腕であった、アニメーション部門の責任者ジェフリー・カッツェンバーグだった。
『トイストーリー』の製作中もジョブズは、マイクロソフトなどにピクサーを売ろうとしていた。しかし、ジョブズは、『トイ・ストーリー』がヒットしそうだと思うと、公開初日にピクサーを上場して大儲けした。ドットコムバブルに乗ったカタチでもあったが、彼の時流を読む目は確かだった。
第二作目の『バグズ・ライフ』の製作中に、休暇中のディズニーの最高執行責任者のフランク・ウェルズがヘリコプターで事故死。一緒にいたクリント・イーストウッドは別のヘリに乗っていて難を逃れた。
カッツェンバーグはフランクの地位を要求したが、アイズナーは拒否。カッツェンバーグは退社して、スピルバーグらとドリームワークスを設立。3Dアニメーション映画『アンツ』をぶつけて来た。この時の興行では敗北するが、『シュレック』のヒットで溜飲を下げることになる。
一方で、ジョブズは、ロイ・ディズニーと手を組み、会長のマイケル・アイズナーに引導を渡す。この頃には、ディズニーよりもピクサーの方がブランド力があったためだ。
最終的には、ピクサーはディズニーに買収され、キャットムルは社長としてディズニーの一員になり、ラセターはクリエイティブ担当最高責任者としてディズニーへ帰還する。

と簡単に書くとこういう流れです。それこそ、コンピュータアニメーションは、ユル・ブリンナー主演の『ウェスト・ワールド』から始まって、『トロン』、『スター・トレック2』などへ続いてきた歴史もあるのですが(中子 真治氏の「SFXの世界」ですなぁ)、そこに至るまでにさらに学術的な歴史があったりするのですねえ。

しかし、よくここまで来れたというか、無から3Dアニメーション産業を生み出した訳でしょ。ピクサーが無かったら、他に誰かができたのだろうか?とつくづく思う。
でも、よくこれだけの人材が集まり、離散せずに続いたものだな。アメリカの底力と云うか、懐の深さと云うか、敵いませんな。
というのが一番の感想かな。

ピクサー作品を、『トイ・ストーリー』しか観ていないことに気づく。まとめて観ようかしらん。

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