映画本-え

映画がなければ生きていけない

映画がなければ生きていけない 1999‐2002映画がなければ生きていけない 1999‐2002

映画がなければ生きていけない 2003‐2006映画がなければ生きていけない 2003‐2006

昔、と云っても1980年代の最初の頃、角川アイドル映画全盛の時代。「ぴあ」が月刊から隔週刊になった頃。暗く長い70年代が終り、なにかが始まろうとしていた頃、「小型映画」という雑誌があった。

その当時でもアナクロな雑誌のタイトル通り、新しいフジカシングル8キャメラの紹介やアマチュアの8mm愛好家が、地元の祭りや旅行記を撮ったり、集まって上映会を開いたりするのをサポートするような内容だった。たまに商業映画の記事が出ても訳のわからない実験映画の紹介。しかし8mm少年としては、他に8mm映画の作り方の技術情報を得ることができる媒体がどこにも無いので古くさい、つまらいないと云いながら読んでいた。

しかし、ある時を境に紙面ががらりと変わった。そう、深刻な顔を止めて軽くなったATGやテレビの刑事番組よりも過激なアクションを大スクリーンで展開する東映セントラル、にっかつや松竹の90分に満たないプログラムピクチャーが息を吹きかえす頃の、勢いが出てきた日本映画の監督のインタビューや現場の様子が大々的に取り上げられたのだ。同時に素晴らしいコンセプトを持った国産メーカーから8mm機材の新製品が次々と発売され、一方で8mmの自主映画が続々と誕生する。その様子がまさにリアルタイムで紹介された。

そんな時代の風を捉え、それまで繋がるはずの無いと思われていた、商業映画と自主映画を「映画」という眼で、プロに敬意を払いアマチュアを鼓舞する、両者を等分に取材していく姿勢に大いに共感を覚えた。

なぜなら、プロの現場はあまりにも遠く、自主映画の8mmは子どもの遊びにしか見られていない時代だったからだ。自主映画出身者ばかりのいまでは信じられないことだろう。

そう、確か、『シャイニング』を観て、すごい機材があることを知り、色々調べたけどよくわからなくて噂でしか聞いたことが無かった、スティディカムの写真をはじめて見たのもこの雑誌だった。一日の使用料金が200万円と云われていた頃だ。

8mm少年は毎月「小型映画」を読むのが楽しみになった。毎日のように隅から隅まで読み、アルバイトをして、機材も揃えた。

快進撃を続けていたと思われていた雑誌は、ついに「もうひとつの小型映画16mm映画」というアマチュア雑誌を逸脱するような特集を開始したところで、突然休刊となる。それくらいレベルが高いマニアックな雑誌だった。雑誌としては時代のずっと先を走ってしまったのだろう。

休刊の本当の意味を知らず、いつかまた再刊されてあたらしい記事が読める日が来るのではないかとずっと思っていた。

私は、「小型映画」がいまの日本映画に与えた影響の大きさが過小評価されていると、いまも思っている。

そして、10年後、あるメールマガジンが創刊された。デジタル業界の人たちが書く、コラムに混じって、アナログな映画と本の記事が掲載されていた。そこにはやや後ろ向きな、それでいて希望は捨てず、決してニヒリズムには陥らない、でもすごくセンチメンタルな映画と本の旅が綴られていた。わたしはそのコラムが届く日を毎週楽しみにしていた。筆者がカメラ雑誌の編集をしていたと聞いて、なんとはなく、そうであって欲しいと思っていたが、筆者の文章に「小型映画」の編集者という文字を見つけたときには小躍りしたい気分だった。なんてぜいたくな再会なのだろうかと。

あの時代の空気を知っている人には、最高の贈り物になるコラムです。決して裏切りません。寝る前の最高のナイトキャップになることでしょう。

現在もコラムは「映画と夜と音楽と…」として続いています。

Pocket
LINEで送る