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殺し屋1

殺し屋1 特別プレミアム版<初回限定パッケージ>

01三池崇史 新宿

ちょっとこの映画を評する言葉をいま持っていない。三池崇史が日本で抜群の演出力を持っている監督であることは 間違いない。ただ近作を観るとエネルギーだけが膨張して、 映画の方向性を見失っていることも否めないと思う。三 池が映画に求めているものがどんどん変質していっていることは近作を観るとよくわかる。昔風の言い方をすると、スト ーリーを解体する方向というのだろうね。例えば 80年代の寵児であった森田芳光などが『家族ゲーム』でアンタッチャブ ルの存在になり、『そろばんずく』、『ときめきに死す』などで、どんどん観客を突き放した映画を撮ってドン詰まって、『そ れから』でまた再びストーリーに帰ってきたように、アンタッチャブルな存在になった三池は、いまは物語とは一番遠い方 向に突き進んでいる、表現者としての必然の道を辿っているとも言えよう。

抜群のシーンの演出力により、断片化された映画の各シーンは暴走し、より充実していく。ワン・シーンの情報量と 説得力は世界一じゃないだろうか。同じ条件で撮っても一方はVシネにしかならないのに、三池ではスペクタクルにな る。

しかし以前はストーリー展開にも考慮していて丁寧に時間を緩やかにして観客を置き去りにしていなかった部分(ある いは感傷的な部分)を、どんどん捨ててきて映画を成立させる方向へとシフトしてきた。編集の巧みさ(暴力的なつなぎ) がどんどん浸食してきたと思う。それは音と画の共演とも言える。北野武が簡潔にして暴力的な効果を上げてきたもの をさらに徹底し、シーンのつなぎを加速してきた。

いまはマスコミ的に突拍子もないシーンの飛ばし方をすればするほど客が喜ぶんで、ケレンで行っているけれど、結 局は感情がついて来れない部分が残ってしまう。 『漂流街』のラストはもっと泣ける、いや泣きたいのだけども、アタ マのシーンでああいう風に納得をあきらめて客を選んでいるので、感情がついていけないんだよね。『DOA2』も同じ。観 客は未消化に終わる。監督はそこまでついて来て欲しいんだと思うのだろうが、ちょっと無理じゃないのかなあ。

本作のラストの子ども、SABU、浅野、塚本の各人の映画のけじめのカタルシスが崩壊しているのも同じだと思う。そこ ら辺が吹っ切れない三池自身がいるのだろうと思うけど。

わたしとしては、ラストで感情の頂点に達するほどのエクスタシーを持つ作品を作る方向へ早くシフトして欲しい。あ あ、それから大森南朋いいなあ。かれをうまく使う映画アリだと思うのだが。

(角田)

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