映画本-た

田宮二郎、壮絶

田宮二郎、壮絶!―いざ帰りなん、映画黄金の刻へ 田宮二郎、壮絶!―いざ帰りなん、映画黄金の刻へ

私が興味を持ったのは、 松竹のプロデューサーであった著者が、田宮を口説き、加藤泰の『人生劇場』に出したあたりのエピソードだ。

60年代の終りから70年代初頭、低迷する松竹では、松竹大船調を作り上げた城戸四郎が現場に復活した。一方その裏で、城戸がいやがるエログロ、反社会的なコメディー路線の製作をして実質的に松竹を興行的に支えた製作者たちがいた。

わかりやすくいえば、コント55号や、ドリフターズの映画、いわゆる“喜劇シリーズ”や、ナベプロやホリプロのタレントが出る“歌謡映画”だ。

「三嶋軍団」と呼ばれたそのチームは、三嶋与四冶映画製作本部長、山内静夫企画部長、脇田企画日次長、升本喜年企画室長、を中心として年間30本近くの作品を量産していた。

数字的な実績を重ねて来て、次に狙ったのが、男性路線だった。しかし、伝統的に松竹は男優の層が薄い。そのために外から呼ぶことになり、日活の渡哲也を松竹の専属にする。このあたりはまったく知らなかった。松竹と渡個人の交渉のあいだに入ったのが、舛田利雄というのなんとなく納得。そしてタイムショックの司会者だった田宮二郎を映画に復活させたのも彼らだった。

そこで東映にいた加藤泰が来て、『人生劇場』『花と龍』『宮本武蔵』へと繋がる。

いままで、メロドラマの松竹大船調と、高度成長時期の泥臭いコメディがどうして同時に存在したのかわからなかったけど、そのあたりがすこし分かった気がする。

またその人脈が、その後テレビドラマに移行していくのだが、人の繋がりがさらに複雑になってくるね。そこを探っていくのが次の課題だろう。

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田宮二郎、壮絶”への2件のコメント

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