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秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明

秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明

絵画は、画家がその天賦の才能を駆使して、誰にもできない神業を披露することによって生まれる。数多くの美術評論家によって語られてきた、その芸術的な価値は美術史を通して普遍のものとなり、芸術家は特別な存在とされている…。

というのが、芸術と芸術家と評論家の「美術界」における美しい関係であったはずだ。そこには作為的な行為は入る余地は無い。写真のように光学的に切り取られ、そのままを再現する仕組みとは峻別されるべきものだ。

しかし、画家であるデヴィッド・ホックニーは、ある日ロンドンのナショナルギャラリーで、アングルの肖像画の素描を見ているうちに、奇妙なことに気づく。アングルの線を描くタッチに迷いが無いのだ。ものすごく短い時間でデッサンを次々と完成させているのだ。そして何点かの素描は、身体と頭部のサイズのバランスが不自然だった。

ここでホックニーは仮説を立てる。アングルはデッサンをするのに、「なにか光学機器を使ったのではないか」と。書影画像に見える、カメラ・ルシーダ(明るい箱)を使用したとすると、短時間でデッサンを終えることは可能に思える。筆の運びも、なぞる場合に特有な線の描き方が見られる。このあたりの推理は、画家ならではの視点でとてもスリリングだ。

さらにホックニーは考察を進め、同様に光学機器を使った作家がいたのではないかと推測する。フェルメールがカメラ・オブスクーラ(暗い箱)を用いたのではないかと昔から云われている。それは光学機器を使った場合に見られる特徴があるからだという。

そして、ある時期から、絵画のディテール描写が飛躍的に細かく、正確、写実的になったことを突き止める。1420年から30年にかけて、フランドル地方でなにかがはじまったのだ。これも様々な絵画を比較して結論を出している。

光学機器、レンズの助けを借りて被写体を投射した場合、被写界深度が表現され、ピントのボケ足が表現される(人間の眼ではありえない!)。またレンズの精度が低いので、強い光が要求されるために絵画のコントラストが高くなり、背景が闇に包まれる。同様に一番明るいことろが露出過多になり、白くハイライトが表現されたり、レンズに映りこむ強烈なフレアの光が再現される。そしてレンズによる歪みのために、遠近感が実際よりも誇張される。左右が反転する(左利きが増える)。対象物ごとにレンズの位置を変えてそれを同一の画面に書き込むために、複数の消失点ができるので不思議な奥行きが生まれる。

これらの特徴が当てはまる作品を描いた画家には、カラヴァッジョ、ベラスケス、ヤン・ファン・エイク、レンブラントも含まれる。

この発見は、本が発表されると美術界に衝撃をもたらした。画家が機器を使っていたというのは、神聖な芸術を冒涜する行為なのだろうか。その当時は証拠となる文献もほとんどなかったが、少しずつそれを証明する文書も発見されているそうだ。

当時の画家たちにすれば、「芸術」云々、自分の作品が後世に残るなどという価値を考えているわけがないので、商売、テクニック上の秘密として他人には知らせることがなかったのだろう。その「秘密主義」のために文献が少なかったのだろう。写真という仕組みが無かった時代に、「絵」に価値があるとしたら、画家の「芸術性」ではなく、どれくらい本物に似ているか、というのがひとつの基準であってもおかしくない。いやそれが当然だと思うし、画家自身、もし本物そっくりに描ける手段があるのなら、最新のテクノロジーを使おうと思うのが当然だろう。写真の発明以降、あるいは過度のリアリズムの反動による印象派の出現によって、絵画は特別なものという美術芸術の神話のために意識的、無意識に消えていった手法だったのではないだろうか?

アタマの硬い人々から、絵画の神話を壊すのかと非難を受けた、ホックニーは当然のこととして、もし光学機器を駆使して作品を描いたとしても、その絵画の価値が下がることは無いし、画家のすばらしい技量に疑問を呈するものではないと云っている。

私の関心は「美術史」そのものではなく、「絵の描き方」の歴史にある。美術史は通常こうした実際面にはあまり興味を示さない。

実作者ならではの視点が、常識といわれている事を覆した、知的な読み物です。検証している絵画をたくさん壁に「万里の長城」と称して貼っているのをみると、それ自身がホックニーの作品になっていたり、二重三重に楽しい。

評論家には決して到達できない、作り手からの視点=「すべてをありのままに観察して、すべてを疑い、自ら作り上げること」を示した好書です。


本を元にしたBBCテレビ番組の紹介(動画あり)

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秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明”への2件のコメント

  1. うむー!すごく興味深いですね。
    しかし今より芸術的評価はなかったり、生活の糧としていたことも考えれば、
    そのぐらい何のことなしだったようにも思えますね。
    ショックを受ける人は美化しすぎなのかな。
    世の中の心理は時としてまっこと単純なものであったりしますよね。
    そして天才はそれを活かし自分のものに、何の躊躇もなくできるのでしょう。
    それこそ「うつし絵」だったからと言ってその作品の評価を下げるのはいかにも陳腐な考えだし、そこに知られざる技術があったとしてそれを発見したホックニーはすばらしい評価を得るべきですよ。

  2. >MMさん
    以前から、芸術に於ける技術論が軽視されているのが不思議でたまりませんでした。なんで実作者じゃない評論家の方の意見が尊重されるのか。その瞬間、その構図、その色がどのようにして発見されて形づくられていくのか。一番大切なことが抽象的で単純な印象でしか語られないのが不満でした。
    実作者じゃないと到達できない、見えないところってあるんですよね。
    すべてはそこから始まると思うのですが、ホックニーの絵画(芸術)に対する、自由な態度があったからこそ、それは発見できたのだと思います。

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