超大国アメリカの文化力

映画のポケット Vol.35「すべては80年代にはじまった」
千本組始末記


著者は、社会学博士号を持つジャーナリスト。フランス大使館文化外交官として2001〜5年の間ボストンに在住し、アメリカ全土をくまなく取材してこの本を書き上げた。ここに描かれるアメリ文化の姿は、私たちがまったく考えたことのない、あるいはなんとなくは見ているが気付かなかったことをあからさまにする。

ハリウッド、ブロードウェイといった商業文化、芸術の華やかな世界と、世界有数のコレクションを持つ美術館の数々。最先端の設備を持つ大学。そしてマイノリティの芸術文化の支援。これらはどのような関係を持っているのだろうか。

まず、アメリカ社会の芸術に対する態度は、このように分析される。

芸術がごく少数の人間に向けられた実践である以上は、国が国民全体のカネを使って芸術を支援するなど、問題外なのである。(中略)とりわけ国は、芸術に関 して意見を持ったり、判断を下したり、芸術的選択を前提とする財政支援をおこなったりしてはならない。文化は私的な領域にいまだに属しているのである。

これはアメリカ社会が、国家の関与を嫌がることもあるが、文化に対するヨーロッパの貴族的な態度への反発、質実剛健のアメリカ人の考え方が投影されている。しかし、ここにアメリカ特有の寄付文化というものがある。有名なのがカーネギー財団、ロックフェラー財団、フォード財団など、大金持ちが晩年にそれまで一代で築いた富を寄付して作れられたものがある。そこには社会事業に目覚めたというよりは、どちらかというと贖罪に近い考え方がある。極悪非道なビジネスにより集まったカネを、自らが天国に行くために社会に還元するとはなんとも虫の良い話ではないだろうか。アメリカの慈善事業に偽善性が付き纏うのはこのためだ。その流れは今も変わらない。事業から引退した大金持ちのビジネスマンは、今度はその手腕を自らの財団で理事となり発揮する。財団では国に税金を持っていかれることもなく、株主に気を使うこともなく、自分の好きに事業を思いのままに操れる。だから引退とっても人が変わるわけではない。ビル・ゲイツなどその典型だろう。

裕福な人にとって理事であることは、ビジネス面で言えばすばらしい人物証明書を持っているに等しい。このように評判や社会的信用をお金で買うのだ。実業家 はこれらのステイタスを必要とするから、ますます寄附要請を断りづらくなる。寄付については複雑でとらえどころのない無数の規則があり、暗黙のうちに強制 されている。こうして、寄付はもはや選択の対象ではなく、義務になってしまうのである。

「非営利目的」「ハイカルチャー」そして「独立」。この三つの表現にアメリカの大型文化団体は要約される。そして、「理事会」、「基金」、「資金集め」に よってこれらの団体はきわめて独創的なシステムを作っている。文化団体が属するのは、市場でも政府でもなく、本当の意味での第三の分野、「非商業的な文化 経済」と名付けられるべきものである。

理事の大切な仕事は、資金集めであり、豊富な基金により財団は運営されている。ちなみに非営利団体のハーヴァード大学は基金が259億ドル、年間の運営予算が20億ドルだ。美術館のオープニングパーティの華やかさは、彼らの富とステイタスの象徴だ。逆に言うと、この富裕層サークルに入るためには外国人でもカネをばらまけば良いのだ。成り上がりのセレブがニューヨークのパーティに現れたりすぐ消えたりするのもこの流れだ。

では、実際の文化芸術に関する寄付がどれくらいの規模かというと、私たちの予想もつかない規模に達していることに驚く。

フィランソロピーから資金を提供される非商業的分野は全体でGDPの8.5%(ドイツでは3.7%、フランスでは4.2%)年間総額6650億円。 メキシコ、カナダ、オーストラリア各国のGDPに相当する。非営利団体の数は114万。1100万人を雇用。就業人口の9.3%に相当。常勤ボランティア が900万人。

寄付構成者の割合は、個人が74.5%、財団が10.9%、個人の遺産が9%、企業が5.6%。寄附全体の36%が教会、13%が学校や大学、8.6%が医療、保健機関、5.4%芸術文化、金額は年間130億ドル

芸術に対する寄付の93%はアメリカの人口の4.2%にあたる最富裕層からもたらされている。しかも芸術分野が受け取る寄附全体の76%は、この最富裕層のわずか1.2%にすぎない。

これがアメリカ文化の底力なのだろうが、ここには最初に挙げた、ハリウッドやブロードウェイの商業文化は入っていない。「民間」であり「非営利」という文化がアメリカ国内で、いまも脈々と息づいていることなのだ。私たちが受け取っているエンターテインメント文化はまったく氷山の一角に過ぎないのだ。だからこのアメリカ文化の多様性に気づかないと本当の意味のアメリカ文化との対峙はできないだろう。著者はこう警告している。

アメリカ国内においては、美術館もオーケストラも、造形芸術、ポピュラー音楽も、そして何よりもコミュニティも、その多様性が顕著である。ところが、海外 ではあべこべに、ハリウッドが輸出する文化産業製品やマスカルチャーの画一性が顕著なのである。(中略)国内では多様性、国外では帝国主義、というアメリ カの二つの顔、自国内ではさまざまな国の文化を重視する一方、海外ではその弱体化を図る双面神ヤヌスだ。

分厚い本ですが、文化芸術から見たアメリカという貴重な記録です。

映画のポケット Vol.35「すべては80年代にはじまった」
千本組始末記
Pocket
LINEで送る