Magic Lantern RAW for Canon EOS Kiss X4 (T2i,550D)テスト

キャノンEOSカメラシリーズの機能を拡張するマジックランタン・ファームウェアが、5DmarkⅢでRAWデータ収録できるニュースが飛び込んできたのは二週間ほど前だった。デジタル一眼レフの動画機能は、HD(1920☓1080)の解像度とともにMpeg4(H264)圧縮がかかり均質化された画調には不満があった。それが14bit/secのRAWデータを手に入れることができるようになった。

これまでデジタル一眼レフよりも高画質を手に入れようとすると、2K以上の解像度でRAWデータを収録できるカメラを手に入れる必要があった。Canon、SONY、ARRI、REDは100万円以上の業務用カメラに乗り換えるか、またはBrackmagicDesignの30万円クラスでRAWデータ出力ができる予定だった。それが同じ30万円クラスの5DMarkⅢで先に実現してしまった。今回のRAW動画を見て驚いたのは、3.5Kの解像度のカメラの画像と同等かそれ以上の表現力や深みがHD(≒2K)の解像度で見ることができたことだ。現在もAV家電メーカーが4K(UltraHD)または8Kの解像度を競って世界に広めようとしているが、映像の美しさは解像度では無かったと言えるのではないだろうか。果たしてこのことにデジタルカメラメーカーが気づいていなかったのかは非常に疑問が残る。素人でも気づくテスト項目だけど、メーカーにはメリットが少ない改良事項だから後回しにされたのではないだろうか。実際にPanasonicGH3の動画bitrateが高められている例もあるから。今後のメーカー側の動きにも要注目。

今回のRAWヴィデオの特長は、映像をヴィデオデータで保存するのではなく、RAWデータとして保存して、PCで解凍して静止画のTIFデータに展開して編集アプリなどで並べ、ムービーにする。謂わば映画の撮影のように1コマずつフィルムに写しそれを現像して繋げて一本のムービーにしていく原始的な方法を選択していることだ。よって手間はかかるが画質のロスは最小限となる。

5DMarkⅢに続いてCFカードが付いているカメラが次々とRAWヴィデオ収録ができるようになった。中古市場5万円程度で本来動画機能が付いていない40DまでもRAWヴィデオ収録ができるようになった。現在は、CFカードのデータ転送スピードの限界がRAWデータのサイズの限界なので、最終的には画期的なスピードのCFカードが現われないといつかは限界が来ると思われる。それまでに万人が納得する映像の美しい最適値が見つかると良いと思う。

さて問題はわたしが所有する Canon EOS Kiss X4 (海外の名称はT2または550D)だが、5/22頃から550Dフォーラムの有志の開発によるファームウェアが配布され現在も改良が進んでいる。KissX4はCFカードではなく、転送速度が遅いが安価なSDカードが使われる。もちろんヴィデオ収録には最速のclass10の方が良い(Sandiskを使用)。

KissX4RAWヴィデオ専用のMagicLanternファームウェアをインストールしたら、カメラ上部のコントロールメニューをビデオモードにする。そして本体右下のゴミ箱アイコンを押してMagicLanternのメニュー画面でMovieを選択。RAW Videoから解像度を選ぶ。

撮影は960☓544くらいの大きさなら安定するが、それ以上だとすぐにエラーが出る。撮影した後にモニターで確認することはできない。これは大きな欠点だがフィルム撮影と思えば大した困難ではないと言ってしまうのはアナログ育ちだからなのか。同録はカードに音声ファイルが作られるので編集で同期できる(メニューはあるが確認していません)。

 

ポスプロのやり方もまだ試行錯誤の状態。今回は自宅のiMac MacOS10.6.8での作業を記録する。photoshopやlightroomやFinalcutがあればもっと簡単にできるようだ(フォーラムを参照)。収録したRAWファイルをdngファイルに展開してさらにtiffファイルにする。それを1コマずつ順番に並べてムービーにする作業だ。

SDファイルのデータは、フォルダにRAWファイルとして保管されている。

デスクトップ等に新規にフォルダを作りRAWファイルをコピーして保存する。

RAW→dngに変換する。raw2dngアプリをダウンロードして開き、フォルダ内のファイルをドラッグ&ドロップする。展開されてdngファイルがフォルダ内に作られる。

dng→tiffに変換する。darktableアプリをダウンロードして開き、dngファイルをフォルダごとインポートする。(クリックで拡大)

このときカラー補正やグレーディングができる(右上メニューのダークルーム)。その後エクスポートの準備をする。このときフォーマットはtiffを選択。dngファイルが全フレーム分のtiffファイルに変換される。

FinalcutExpressHDでは、読み込めるはずのtiffファイルが読み込めなかった(拡張子違いか?)。

【追記】QuickTimeでも読み込み、ムービーファイル作成ができるという指摘を頂きました。

ek2008 @ek_2008

@ryotsunoda どうやらピクセル圧縮比?が原因みたいで、darktableから書出したtiff画像を全選択してプレビューで開く→プレビューで表示された画像を全選択してツールのサイズ調整を開き何も変えずにOKを押して保存で閉じる。これでQTシーケンスで開く事ができました。

 

AfteeEffectsCS3で、ファイルを連番で並べて.MOVファイルにしたがメモリー不足ですぐに止るので数秒ずつムービーにして最後に繋げました。長いムービーの場合は他の編集アプリなどを使った方が良いと思います。

tiffファイルを1フレームずつ順番に並べる方法はこちらを参考にしました。

完成したムービーですが、解像度896☓512、画面比率16:9、24コマ、書き込み速度18.3MB/secをカラーを補正してアップロードしました。ディテールが欠けていますね。

オリジナルの1コマのtiffファイル(2.6MB)をjpeg(455KB)に変換。(カラー補正していますが、ディテールが描写されている部分と影のグラデーションに注目)

 

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映画談義シネUst「三日月座の夜」 ~70年代アクション映画~

Ust中継の第一人者であるヒマナイヌの川井さんの、「70年代アクション映画は?」というツイートに、なんとなく「ダーティハリー」と答えたらDMが来て、あっと言う間にこの映画談義シネUstに出ることになってしまいました。

ドン・シーゲルと言うよりもサム・ペキンパーの映画のような濃いメンツによる脱線に次ぐ脱線のオヤジ映画話が炸裂でした。映画は趣味趣向が違っても年齢や育ちが違っても世界共通言語だなあと改めて思いました。映画についてもっと気軽に会って話せる楽観性というのはもっと大切にしていきたいものですね。CineTeQでもそのあたりがうまくできたらと思います。

Uts中継の現場の裏側も見ることができて大変参考になり大収穫でした。

ネットの時代はほんとうに会いたい人には会えるんだなと不思議な気分になりました。

フェイスブックページ https://www.facebook.com/mikazukiza

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iPhoneで誰でも映画ができる本

人生初著作が出ます。しかも映画本、キネマ旬報社からです!
ツイッター繋がりで、あれよあれよという間にこんなことが起こるなんて感激です。 編集の岸川真さんに感謝。
共著者の樫原辰郎さん(twitterIDは@tatsu_kashi)が実践的な部分を担当しています。
わたしは、内容を補足する「技術がつくった映画史」についてのコラムを書いています。
けっこう好き勝手書いています(笑)。
ものすごく画期的な本に仕上がっていると思います。
9/30発売です。書店で見かけたら手にとって下さい。映画かパソコンのコーナーにあると思います。

しばらくの間、プロモーションを兼ねてブログを更新していきます。
次回は、「なぜiPhoneで映画ができるのか?」です。

●内容紹介
iPhoneとiPad、そしてこの本があれば、映画監督になれる!
高性能のカメラが搭載されたiPhone4。撮影・編集・ダビングに伴う標準装備が整い、便利で楽しい多種多様なアプリを活用することができるiPad2。そしてこのガイドブックがあればあなたも自分で作りたい映画を思い通りに作り、世界に発信することが出来る。映像に関連するiPhone4とiPad2の便利な機能や最新アプリを紹介し、撮影から編集、そして配信までの手順を現役の映画監督とインターネット・メディアのプロが伝授する、これまでなかった映画制作マニュアル。

●主な内容(目次より)

prologue What’s iPhone
 1 デジタル映像革命宣言世界が変わる!映画が変わる!
 2 誰もが映像で語る時代が来た! 今、手の中で映画が誕生する。
 3 iPhone4を持って街に出よう! 僕らは変革の真っ最中にいる。
 4 ワールドプレミアはYouTubeで。僕らは世界と繋がっている。

Chapter 1 Let’s touch
 1 フロントカメラを使いこなす。新たなるカットバックの誕生か?
 2 Movie日記事始め。出かける時にはiPhoneを。
 3 プレゼンはiPhone4とiPad2で!その場で動画を撮って見せろ!
 4  iPhoneMovieで日記を紡ぐ。日常から作品への飛翔。
 5  iPhoneは日常を変えるツール。暮らしの中でのカメラ機能。
 6  黒船襲来!! iPad2! カメラを備えたiPad!
 7 iPhone4+iPad2=∞ 世界最小のモバイルスタジオ誕生!

Chapter 2 Application & Software
 1 iMovieチュートリアル あのソフトがアプリになった!
 2 デフォルトでオーバーラップをかけてくれる親切機能。気に入らなければ、タップで切り替えすぐ変更。
 3 iMovie最大のライバル? 手軽にサックリ繋ぐならSplice。
 4 動画編集アプリの大本命! この機能でこの値段は驚異的。
 5 アプリで遊ぶ、映像エフェクト! iPhoneムービーならではの特殊効果。
 6 サントラも自分で作る?! 素晴らしき音楽系アプリの世界

Chapter 3 How to shoot
 1 というわけで、実践編! 実際にiPhoneで撮ってみた。
 2 iPhone以外、何もいらない。押さえておきたい基本の映像テク。
 3 あえて、a機材を使う!! iPhoneでの撮影を強化するためのツール。
 4 カメラワークの限界に挑む! iPhoneでできる事、できない事。
 5 アングルとポジションのすべて
 6 カメラの位置は、演出意図ありき。ドラマがカメラの位置を決める。
 7 極端な画が欲しいなら、カメラマンは自由自在にポジションを選ぼう!
 8 サイズは被写体との距離感を物語る。引く時も寄る時も大胆にいこう!
 9 もっと高く! もっと低く! 欲しい画を求めて、ベストの位置を探せ!
 10 カメラを自由自在に動かす! パンニングは腰で舞わせ!
 11 小津のクロスカッティング! 向かい合った人物の会話を撮るには?
 12 イマジナリーラインをおさえる! 視線が生む、映画のリアリティ。
 13 移動撮影キタ? 低予算でカメラを動かす方法。

Chapter 4 Let’s making movie
 1 シナリオとプロットの違いって? アイデアメモと箱書きで、企画を捉える。
 2 で、短編のためのシナリオ講座。サクッと書いてサクッと撮ろう。
 3 基本は押さえたから、構成について考えてみよう。
 4 毎日がロケハンだ! iPhoneだけは忘れずに
 5 スケジュールを立てよう。
 6 たった一人でも、映画は撮れる! でも、一人より二人、二人より…
 7 撮影、監督、録音、照明に助監督。全部、一人でやれないものか?
 8 というわけで、劇映画でも撮るか!! いきなりハリウッドに挑戦したりして

Chapter 5 You can be director
 1 秘伝!人を動かす演出術。アマチュアの俳優を効率よく撮る!
 2 カット割の前にリハーサル。絵コンテは、丸描いてちょん!
 3 撮りながら、考える! 現場で役立つ絵コンテ術。
 4 アクションはこう撮れ! 活劇演出テクニック。
 5 ホラー撮るなら血のりは自作? お鍋で血みどろクッキング
 6 映画監督最大の敵、それは「撮りこぼし」

Chapter 6 How to edit
 1 クランクアップしたら編集! その時、君は。
 2 編集で、一番怖いのがコレだ! 撮ったはいいけど繋がらないよ!
 3 アクション繋ぎって何なのさ? フレームインって、そんなに重要?!
 4 タイトルやクレジットを作ろう。作品の仕上げ方。
 5 音楽と効果、音をつけたら完成! サントラも自分で作る?
 6 一番簡単な、音痴でも作曲できるGarageBandの使い方。

Chapter 7 Show the picture
 1 とにかく、完成したので、YouTubeにアップしてみた!
 2 iPhoneMovieで映画史が変わる。歴史の生証人は、君自身だ。
 3 そろそろ大詰め! 動画変換についての知識。
 4 旅先で映画祭を開く?! モバイルMovieの行方は?

お勧めサイレント映画レビュー
用語・映画作品索引
あとがき

●著者プロフィール
樫原辰郎(かしはら・たつろう)
 1964年、大阪出身。1998年より脚本家をはじめ、2000年より、脚本家と並行して映画監督を行う。2002年の「美女濡れ酒場」でピンク大賞で7冠を達成。2005年の作品「The 呪いのゲーム」はPS2ゲームソフトと映画の融合を試みた意欲作。最新作は元AKB48のリーダー・折井あゆみ主演「舞姫~ディーヴァ」(2011)。

角田亮(つのだ・りょう)
 1963年、川崎市出身。立教大学文学部心理学科卒。高校生時代から8ミリ映画の自主制作をする。テレビ番組制作会社でディレクター、プロデューサー。現在はインターネット・メディアの企画・制作に携わる。

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サイレント映画とソフトスタイル 4


これまで書いてきた1910-1920年代におけるハリウッドでのソフトスタイル撮影について「The classical Hollywood cinema: film style & mode of production to 1960」の部分訳をしてみました。

映画撮影技術としての軟調(ソフト・スタイル)

1910年代の後半と特に1920年代には、多くのハリウッドの映画の作り手たちは試行錯誤して、次第に軟調の映画撮影技術に適応してきた。「軟 調」と云っても、単純に浅い焦点距離のことを意味しているわけではない。画を柔らかくすることはひとつの方法だが、撮影監督はまた、低コントラスト現像、 紗掛け、フィルター処理、輪郭ぼかし、スモークというコントラストを減らし、光を拡散することができるなら、どんな機材でもその限界まで使った。17章で 見たように、無声映画時代の撮影スタイルの主流のほとんどが、「硬い輪郭」で深い焦点距離と被写界深度を強調した画調だった。軟調はこのアプローチに対す る新たな方法を提示した。
近年の評価では、『散り行く花』(G・W・グリフィス,1919)での、ビリー・ビッツアーとヘンドリック・サルトフの仕事、特にリリアン・ ギッシュのクローズアップ撮影などが、軟調による映画撮影の革新として認められるようになってきている。その後に撮られた多くの映画よりも、軟調のシーン は少なかったにもかかわらず、疑いも無く『散り行く花』は大変な影響を及ぼした。紗の掛かった中国の港とルーシーが寝ている月明かりの中の中国人青年の部 屋のシーンは、明らかに慣習的なやり方を根底から終わらせるものとして、同時代の他のキャメラマンたちに影響を与えた。
1919年より以前は、軟調は魅力を引き出す画面上の効果であると云われていた。軟調の撮影は、スチル写真技術を模倣すること試みとしての、俳優のクローズアップ撮影からはじまった。1914年の映画年鑑には、この効果を作り出す方法が明確に記述されている。

背景がある通常の写真スタジオでの肖像写真では、サイドから照明を当て、レンズの絞りを出来る限り開き、適切なネガの現像時間を得るこ とができるように最高速のシャッタースピードを使うと良いだろう。このやり方で軟調であるとともに背景と人物がはっきりと分離することができる。ネガは、 風景を撮ったネガや屋外での露光したものよりもいくらか薄くなり、柔らかくなる。そしてコントラストの代わりに柔らかく現像されプリントされる。プリント 作業の時間を短くして温かい現像液を使うことで、この柔らかさは得ることができるだろう。

この著者は柔らかい照明と浅い焦点距離を、前景の人物と大して重要でない背景から分離する方法として取り上げている。1917年版では軟調の映画撮影は構図の美しさを強調するという意見を付け加えている。

俳優への興味を保つための美学的なクローズアップ、柔らかくはっきりとした効果、最高の印象と表現を全体的にまたはどの部分にも与える 気持ちの良いアングル、これを含んだ美しいシーンによって、観客はドラマへ没入していても、常に意識しながら鑑賞することになる。

もうひとつの初期の軟調を使う正当性は美しさのためだった——単なる女性的な美しさだけではなく、構図全体としての美しさのためだった。このふたつの機能が軟調の基本的な正当性となって1920年代を通じて続いたのだろう。
1910年代初期の軟調はキャメラマンは、照明の位置、絞りを開く、または現像プロセスを変化させる、といった手元にある技術を使って実験していたと言わ れているしかし1910年代の中頃、映画の作り手たちはこの目的のための特別な機材を作りはじめた。例えば1916年、Triangle-Fine Arts社の監督、ポール・パウエルは『The Marriage of Molly O』の中の「高度に詩的なシーン」のために紗がかかったレンズ(ディフュージング・レンズ)を使ったと報じられている。今世紀の最初の1910年代に、繊 細で霞がかったスチル写真のために作られたカール・ストラスのピクトリアル・レンズが、同年に映画撮影に、たぶんこの映画に使われた。しかし1920年代 の初期になるまで、ソフト・フォーカス・レンズは、映画のカメラに広く使われるようにはならなかった。

1910年代の後半キャメラマンたちは、レンズの前に紗やフィルターを置いて、画面の調子を軟調にする実験をはじめた。1917年、ディフュージ ング・フィルターの使用について、「一部の光線を透過する、様々な材質のスクリーンがキャメラマンによって使われている」とコメントした人がいた。「それ らの小さなスクリーンは、網目のスクリーンまたは、最適な不透明さを持つように露光・現像された半透明の写真フィルムで作られていていた。そしてキャメラ マンはフレームの隅をぼやけた感じにするために真ん中に穴を開けた」。引用文献では、美しさに対するの見解は別として、これらが使われる理由については言 及されていない。しかし、たぶん背景と対象物を分離するひとつの目的は、観客の注意を顔に集中させることだっただろう。
軟調の効果を作り出す部品は発売されていた。それらを使ってキャメラマンは、普段使っている、焦点がくっきりとするアナスチグマチックレンズ (収差矯正レンズ)をソフトフォーカス・レンズに似せることが出来た。1922年、カール・ブラウンはアナスチグマチックレンズの使い方を記述した。

たぶん、拡散ディスクなどの様々な部品を取り付けることで、軟調な画面を得ることができる。拡散ディスク、たとえばイーストマン・ディフュージョン・ディスクは、片面の表面が平らなガラスで、反対側の面がわずかに波打っていて、その具合が拡散の度合いを決める。

他にもそのようなスクリーンは存在した。たくさんの種類の薄い絹布と紗は同様な目的のために使用されて、真ん中を切り取ったり、焼いたりして、柔らかくぼやけた輪郭を作れることが利点だとブラウンは指摘した。
1920年代のはじめに、軟調の撮影は広まり増えてきたため、効果を作り出すための時間が必要ないように、キャメラマンの通常の機材として特殊 なレンズを持つことがより実際的になった。この時期、キャメラマンたちのために数多くのソフトレンズが現れた。ブラウンの「モダン・レンズ」シリーズ(ア メリカ撮影監督協会刊)には ウォーレンサック社のベリートレンズ、カロスタット社、ダルメイヤー社で作られたソフト・レンズの光学知識と性能についての 卓越した解説がある。ブラウンはこれらのレンズの役割を記述している。

ほとんどのソフト・フォーカス・レンズは、球面収差、色収差、またはそのふたつの様々な度合いの組み合わせに依る。通常の軟調の画像と は多かれ少なかれ、くっきりとした主像が、絞りを変えることで、ピントが合っていない副像の範囲とボケ具合が、前後に変化することを云う。

球面収差は、レンズの周縁を通り抜ける光は、中心を通り抜ける光より焦点がずれるという事実に依るものだ。ほとんどのレンズはこれを補正するため にレンズ群を加える。ソフト・フォーカス・レンズは、故意にこの収差を少なくとも部分的に補正せずに残している。例としてストラス・ピクトリアル・レンズ は、一枚のレンズの構成から成る。色収差は、光がレンズを通るとき、何色かに分解されて色ずれが生まれる。ブラウンは、色収差では、たくさんの細かい色ず れの光が重なって白い光を作ると、違いが眼に見えないからピントを判断することは、より難しいと指摘する。それゆえほとんどのソフト・フォーカス・レンズ はかなり広い範囲で色収差を補正する。
またブラウンは20年代のソフト・フォーカス撮影スタイルを取り扱った概観がいくぶん単純すぎると言及している。彼はいかにそれらのレンズが、 大きな被写界深度を生み出し、同じレンズ口径と焦点距離での収差補正を示し、公式なやりかたを変えているかを説明する。いくつかのソフト・フォーカス・レ ンズでは類似の収差補正より、被写界深度が数百パーセントの増加を示しているからだ。被写界深度の使用についての歴史を議論するとき、私たちはレンズ口径 が大きく暗さに強いウルトラスピード・レンズと当時使われていた通常のレンズとしての20年代のソフト・フォーカス・レンズを直接比較すべきではない。そ のような比較は多分に誤りを冒す。
その代わりに20年代の軟調の映画には異なるやり方がある。遠くから焦点距離の長いレンズで撮影すると浅いピントになる、それゆえ背景はボケ る。これは紗がかかった照明、紗がかかったレンズなどで補足されるだろう。しかし、また軟調の潮流は被写界深度を一定に保つことでもあった。ブラウンの記 述によると、そのようなソフト・フォーカス・レンズは、球面収差を起こすが、前景が後景と同じくらいボケているために被写界深度は保持している。紗の応用 することでは、レンズや照明だけではなく、画面全体の要素に対して、焦点に影響すること無しに、選んだ部分にぼかしの効果を作ることができた。
私たちが撮影技術と被写界深度の実践を見た限りでは、焦点を選べることへの傾向は1910年代には強いものではなかった。ほとんどのキャメラ マンは与えられた条件で可能な限り大きな被写界深度を生み出そうとしていた。この時代の標準レンズの焦点距離は、2と3インチ、3インチレンズは背景を少 しだけぼかすだけで、典型的な膝から上の構図には充分だとはいえなかった。初期の頃から4インチのレンズが有効だとされていた。
1920年代のキャメラマンは、硬軟ばかりか、長焦点といったかなりの種類のレンズを使用できた。クラークはビリー・ビッツァーが『東への 道』(1920G・W・グリフィス)で背景をボカすクローズアップのために6インチレンズを使った回想する。クラークによるとビッツァーは度々新しいレン ズを買っては実験を行っていたという。1927年、マッケイの「映画撮影ハンドブック」では標準レンズとして、35mm、2インチ(50mm)、3インチ (75mm)、4インチ(100mm)、6インチ(15mm)が紹介されている。彼は、浅いピントの傾向はハリウッドでは1930年代から一般的になって きたと記述している。

遠景を写すときには、普通にくっきりさせるには露出を絞る。しかし、中間と手前にある場合は 絞りをf8より開ける。これにより、遠いところをボカして奥行の雰囲気を出す。
人を撮影するときには、ピントをきっちりと合わせ、背景をボカす。これは画の効果が背景の外側で妨げられることを防ぐだろう。この焦点の位置を ズレして肖像写真のような効果を生み出す方法は、差異的焦点化(differential focusing)として知られている。

そして、画的な柔らかさは、長焦点のレンズでもソフトレンズや特別な機材と同様に得ることができた。これら一連の機材で、かなりのキャメラマン は、1919年と1929年のあいだに実験を行い、様々な方法で、霞ませたり、ソフトスタイルの特徴的な発光したような効果を成し遂げた。
ソフトスタイルへの最も初期の刺激は、肖像写真の模倣を続けるところからきた。いくつかの映画は殆どの撮影でいつものハードスタイルを使ってい たが、クローズアップでは突如軟調に変わっていた。1920年、ビリー・ビッツァーとヘンリック・サルトフは、共同撮影をして『散り行く花』でリリアン・ ギッシュのためにクローズアップを撮った。ビッツァーは硬い輪郭のスタイルから彼のキャリアをはじめたが、レンズで実験をすることに興味を持ち出した。サ ルトフはもともとは肖像写真家であり、彼とビッツァーはこの軟調をヒロインのクローズアップで試した。いくつかのカット/切り返しカットは、悪役の撮影と 比べて、どのようにギッシュを軟調に取り扱ったかを明らかに示している
ほかにも1920年に撮影された『黙示録の四騎士』は、当時の他の映画製作者たちにかなりの衝撃を与えた。撮影者のジョン・F・ザイツは、レン ズ、紗、開発された技巧、その他にも彼の画を軟調にするための機材を使った。カフェの背景を霞ませた有名なシーンがある。ここではすべてのものは、くっき りと写っているが、背景はコントラストが明らかに落ちている。ザイツはこの効果を得るためにたぶんスモークを使ったのだろう。ロー・コントラストの使用 は、美しい構図を生み出した;そのシーンはたびたび賞賛の的になった…。(文章の後半が切れている)

結果として、映画は画の解像度を失うことなしに、全編にわたってソフトスタイルが使われた。
どの部分の画面も、たっぷりと柔らかく、輝きにみちたスタイルの映画は、広がることはなかった。確かに1920年代中期のたくさんの、たぶん大 部分の映画が、くっきりとしたピント、硬い照明のスタイルのままだった。しかし軟調の魅力的な効果の画は、 おそらく枠組みの中での二者択一だった。そして首尾一貫したソフトスタイルは、『雀』や『黙示録の四騎士』のような特権的な映画の撮影方法のひとつになっ ていった。チャールズ・ロシャーは、メアリー・ピックフォードの専属カメラマンであり、彼は魅力的なクローズアップを生み出すことで、ハリウッドで最高の 女性(時には男性)スターの絶え間ない要求に応えた。
ソフトスタイルを生み出す要素は何か?明らかに軟調の撮影技術は、効率を上げるものではない。照明係が巨大な紗を吊るしたり、特殊な露出を計算 したり、やり方を改良したり、追加のレンズを買ったりするのは、時間と予算を費やすだけだ。しかし予算規模が大きい作品、特に製作作品の差別化と物量化が 考慮される時には、効率化に勝るだろう。ソフトスタイルが最初に現れたのは、主として強力な独立会社(特にユナイテッド・アーティスツによって配給され る)または作家性の高い監督によって作られた映画だった。この分野における実験活動の主な原動力は、キャメラマン、監督、役者たちの質の高い画面への探求 心だった。キャメラマンたちは時として彼ら自身ためのレンズ、キャメラ、付属機材、現像機を作った。『黙示録の四騎士』で、ザイツは特別な化学の公式を用 いて別々のカットを注文現像する現像所を準備した。(メトロ社は、この大規模予算作品のために監督中心システムに戻ったので、イングラムとザイツは高度な 割合でコントロールを常に持つことができた)。私たちは、どのようにして、ストラス自身のピクトリアルレンズが、この産業の中に入ってきたかを見ることが できる。ロシャーは、1920年代の中頃にロシャー・キノ・ポートレイト・レンズを開発したという。彼らのようなキャメラマンたちと監督たちが、ソフトス タイルを最初に取り入れた。それからスターが要求するようになった。彼らは、それがいかに顔の写りを良くするかを理解していた。アリス・テリーとルドル フ・バレンティノは『黙示録の四騎士』のおかげで一夜にしてスターになった。そして柔らかく魅力的なクローズアップは彼らに多大な貢献をしただろう。ロ シャーはこのキノ・ポートレイト・レンズをピックフォードとジョン・バリモアのクローズアップに使った。彼はソフトスタイルを使って、『テンペスト』(サ ム・テイラー監督1928年、ジョゼフ・M・シェンク製作、ユナイテッドアーティスツ配給)でバリモアを若くみえるようにしたことを楽しげに回顧してい る。バリモアのクローズアップは霞んでいて、彼がヒロインと彼女の友達が河で水浴びするのを見下ろす中くらいのクローズアップでは、ぼやけるようにした柳 の葉にごく小さくきらり輝く光が彼を取り囲んでいた。そのようなカットは、『東への道』のリチャード・バーセルメスや1920年代の他の数人のスターの扱 いでも同様であり、女性だけが軟調の扱いを受けていたのでは無いことを示している。女性はいつもはより強い紗がかかっているが、しかし決まった男性たちも 同じように魅惑を連想させた。何人かのスターはキャメラマンとの契約をコントロールすることが出来た。もしリリアン・ギッシュやピックフォードが、魅力的 な撮影技術の腕を持ったロシャーのようなキャメラマンを望んだら、彼は彼女たちにとって最も好ましい人物となるだろう。ハリウッド映画は、人物を興味の対 象の中心に使っていて、技術は、人物を制作費を追加出費をするだけの価値があるようすることが出来た。
魅惑的な撮影が質を高めることができたかどうかは別として、この10年間で成功したたくさんの映画はソフトスタイルを使っていた。ザイツは 1920年代、最も高給取りで、そして名前が広告で使われている唯一のキャメラマンだった報じられている。ハリウッド内部の協会もまた、技術者たちを表彰 することでソフトスタイルを当時の「良質な」スタイルとすることを手助けした。第一回アカデミー賞撮影賞は1927年の『サンライズ』におけるロシャーと ストラスの共同作業に与えられた。『第七天国』、『街の天使』、『テンペスト』といった他のソフトスタイルの作品もアカデミー賞の中で突出していた。 1926から28年にかけてソフトスタイルはサイレント映画時代にその頂点を極めた。
なぜ、キャメラマンと映画製作者たちは、ソフトスタイルをはじめることができたのだろうか?最も強い影響は当時のスチル写真で流行していた、 20世紀に入ってアメリカではじまったピクトリアリズム(絵画派)運動のスタイルから来ていた。ピクトリアリズムは1902年、アルフレッド・ステグリッ ツによって始められたフォト・セセッション(写真分離派)グループによって実践されていた。そして当時の多くの卓越したキャメラマンに影響を与えていた。 国際的なピクトリアリズムの動きはそれより早く19世紀の終わりに、写真を芸術としていこうという試みであり、彼らは、撮影または現像の段階で画像を操作 して、様式化したり図像芸術との類似性を強調した。
映画撮影技術とピクトリアリズムの写真家の間に直接的な繋がりがあった。初期のソフト・フォーカス・レンズのいくつかは、単純にスチルカメラで 使われるレンズを改造したものだった。ストラス・ピクトリアル・レンズはその一例である。ストラス自身、映画界に入る前はピクトリアリズムの伝統に則った スチル写真家であった。ヘンリク・サルトフも同様だった。また多くのキャメラマンたちは、プロあるいはアマのスチル写真家だった(American Cinematographer誌やInternational Photographer誌ではたびたびキャメラマンが撮影した、霞がかかったピクトリアル・スタイルのスチル写真を掲載していた)。1910年代の半ば には、ピクトリアリズムが映画に現れるようになりはじめ、撮影方法の主流になった。1920年代後半には、多くのスチル写真家たちが反抗していたのに対し て、標準的な型にはまったスタイルになった。
映画産業の中にピクトリアリズムを取り入れることによって、アバンギャルドの傾向に従う恐れはほとんどなかった。
ボーモント・ニューホールは、クラレンス・H・ホワイトやエドワード・ステフェンのようなアメリカのピクトリアリズムの写真家たちは、「ソフ ト・フォーカス、輝く白い光を遮る濃い影、直線的な構図によって個性を出していた」と記述した。『東への道』の構図は、ほとんどピクトリアリズムのスチル 写真といっても通用しただろう。『愚かなる妻』では、僧侶の目線としての紗のフィルターは、ピクトリアリズムの写真家たちによって使われる効果ととても近 いもので、油絵の表面の様相を作り出していた。スチル写真では、布地のような文様は、ガム印画法を使った特殊な現像で作られていた。
これらのピクトリアリズムの写真技法の例は、あいまいでかすんだような描き方のフランス印象派絵画の影響を受けていた。印象派は1910年代で は、正統的な芸術のスタイルだった。この時期、映画製作者たちは、芸術として、映画でもそれを証明しようとしていた。だからハリウッドは1910年代の後 半、ピクトリアリズムの写真家たちが、20年前にそうだったように、映画キャメラマンは、他の芸術で先に確立されたスタイルを真似て、彼らも大衆的な地位 を得ることができるようにしようとしていた。
多くの場合、キャメラマンたちは成功した。ソフトスタイルの撮影技術は、批評に於いて賞賛を受けた。そして観客たちは好きなスターの美しい霞ん だ表情に魅了された。そしてロシャーやストラスのような熟練した腕にかかると、作品でのピクトリアリズムは高まった。しかしピクトリアリズムの影響は、い くつかの当時の記述が示唆するように、それ自身の問題を引き起こしていた。ブラウンはソフトフォーカスの弊害をこう述べている。

キャメラマンたちが過去において失墜した最大の点は、過度の光の拡散、「光の回り込み」と後光現象のコントロールの失敗だっ た。たぶん著名なピクトリアリストの作業への過度の注意がこれを引き起こしたのだろう…。太陽の光を浴びて輝く葉っぱにたくさんの後光が差しているのはス チル写真では見る者を楽しませる。しかしスクリーンで動く画としたら、葉っぱが動くと後光が現れたり消えたりと瞬くためにそれは不可能になる。微かな光の 回り込みはスチル肖像写真では問題にならないが、スクリーンでは、対象物が動くと現れたり消えたりして、天上からの光を変えてしまう。

ブラウンはまた、ピクトリアリズムの写真家たちは鮮明なシーンとの落差を考えることはなかったが、映画はちがった。ハリウッドのキャメラマンは完 璧な繋がりを求めてずっと悩んでいると問題を指摘している。…

■『散りゆく花』

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